2017年10月25日水曜日

泥縄式学習

2017.10.22記事「大結仮説 鳴神山遺跡が大結馬牧であるとする新仮説」で大結馬牧が船橋ではなく印西にあったという仮説を立てました。
千葉県の古代史専門家はこぞって大結馬牧を意富比神社(船橋大神宮)と関連づけて考えています。

参考 「千葉県の歴史 通史編 古代2」の牧分布推定図
「千葉県の歴史 通史編 古代2」から引用
大結馬牧の場所は船橋にプロットされている。
 
専門家がこぞって考えている大結馬牧の場所を否定し、別の場所を仮説するのですから、いくら素人趣味活動といっても大胆過ぎ無謀過ぎることは否めません。
しかし、この趣味活動では歴史専門家があまり思考していない領域…国土計画、インフラと地域開発の関係等建設に関わる領域…を思考しているという直観があり、その思考の意義があるのではないかと考えます。

新仮説についての蓋然性向上を図り、自分なりに確信を深めておきたいという欲望に逆らえませんが、歴史考古の門外漢素人としてのつらいところで、基礎知識が思い切り不足しています。
そこで、いつもの泥縄式学習を展開しています。
今回の泥縄式学習は超短期集中で飛鳥時代、奈良時代、平安時代初期頃の中央政府と下総国の出来事などの年表を作成し、時代の感覚を養っています。
年表作成は次の2図書を詳しく何度も読み、利用できそうな出来事をメモし、年表形式に直しています。(半世紀以上前の大学受験勉強体験を思い出す作業です。)

「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)中表紙と箱背

「日本の神々 神社と聖地 11 関東」(谷川健一編 白水社)中表紙と箱

「日本の神々 神社と聖地 11 関東」(谷川健一編 白水社)には意富比神社のみならず印波国に関わる麻賀多神社、宗像神社、埴生神社について詳しく書かれています。
さらに鹿島神宮と香取神宮の日本歴史における意味が両神宮の項だけでなく、常陸の大生神社、大井神社等の項目でも詳述されています。単なる祭祀の歴史ではなく、記紀神話成立の中央社会状況との関係で鹿島・香取両神宮や下総・常陸の歴史が述べられています。私にとって「そういうことが知りたかったことだ」という感想を持つ図書となっています。

大化の改新による新政策により日本書紀が編まれ(記紀神話を編み)、鹿島神宮と香取神宮が在地氏族の神社から国営直轄ともいえるような藤原・中臣氏の神社に衣替えし、東北への軍事進出の拠点として整備したことを詳しく学習しています。
そしてこの鹿島・香取両神宮の直轄軍事拠点化と東海道整備、域内幹線道路・水運路整備、馬牧整備とそれらを支える開発集落建設が一体のものであることを詳しく検討すると新仮説の蓋然性がおのずと高まります。
新たに編んだ記紀神話とそれが適用された鹿島・香取神宮を背景に下総のインフラ整備(東北進出の兵站基地建設)が進んだことを学習しています。

なお中央政府(藤原・中臣)が下総の総合開発を主導したのであり、在地氏族はそれに協力することによって出世できたことも浮かび上がります。
現在検討している7遺跡の内白幡前遺跡、井戸向遺跡、北海道遺跡、権現後遺跡、鳴神山遺跡、船尾白幡遺跡は官牧集落ですからその始発は直轄開発集落となります。少なくとも蝦夷戦争が終わる9世紀初頭までは、これらの集落は特定在地氏族の独自開発ではないことを踏まえて検討する必要があると考えます

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