2017年12月10日日曜日

床が傾斜する竪穴住居

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 4

大膳野南貝塚堀之内1式期の廃屋墓の機能不明柱穴の検討をしています。

4 堀之内1式期 J95竪穴住居
4-1 特徴
後世の削平等により住居壁は失われていると発掘調査報告書で記載されています。楕円形の範囲で住居が想定され、新旧の柱穴が分布し、張出部近くの床面から周産期~乳児期人骨1体が検出されています。炉は漆喰炉、住居覆土のかなりの部分に貝層が含まれます。

J95竪穴住居の位置

J95竪穴住居 廃屋墓

人骨の状況

4-2 検討
4-2-1 人骨について
周産期~乳児期人骨が張出部の近く(張出部柱穴の外側)に存在していることは次のように模式化することができます。

J95竪穴住居 周産期~乳児期人骨出土位置

子どもの人骨が張出部近くに存在する様子は子どもの床下墓坑があるJ77竪穴住居の様子とそっくりです。

J77竪穴住居の床下墓坑の位置

J95竪穴住居はJ77とともに廃屋墓に分類されていますが、両方とも住居が生活に使われていた時期から子どもの墓坑が存在していたと考えます。
子どもの亡骸を生活場所に置いて、一緒に生活したいという親の気持ちが表現されている住居であると考えます。

従って、J95竪穴住居が廃絶した時、子どもの亡骸は主な祭祀対象にはならなかったと推定します。地点貝層が子どもの亡骸を覆っていない様子がそのような意識を反映しているように想像します。

4-2-2 機能不明柱穴について
柱穴の全体分布及び床面傾斜から中央部にある機能不明柱穴が建物棟木を支える補助柱の様に観察できます。

J95竪穴住居 建物の検討

J95竪穴住居 模式断面(想定)

住居床面が傾斜しているのでそこに建てられた建物の東側の柱の数を増やして建物の荷重を支える必要があり、そのため東側の柱穴が増えたと考えることが合理的です。
住居中央の機能不明柱穴も西側で4つ、東側で8つになっていて、建て替えの度ごとに棟木を建物中央で支える補助柱を西側で少なく、東側で多く設置したことが推定できます。

なお、発掘調査報告書では住居壁は後世の削平等により失われたと記述していますが、その記述には大いに疑問が残ります。発掘調査報告書の記述通りだとすると上図模式断面のようになります。このような断面はあり得ないと考えます。もし竪穴を掘ったとするならば、床面は略水平になるはずです。建物の荷重を受けるために片側だけ柱を多くするほどの傾斜をつけて竪穴を掘る縄文人はいないと考えます。
発掘調査報告書の記述と上図点線部分はおそらく間違いであり、J95竪穴住居は自然地形斜面を直接床面として建設された住居であったと考えます。

張出部にある1つの機能不明柱穴は張出部外側の中央にあるように観察(推定)できます。その観察(推定)が正しければ、張出部の出入りに不便となる場所であることから、張出部の祭祀性を強調するようなシンボル的柱であったか、あるいは竪穴住居廃絶後に祭壇として設置された柱かもしれません。

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