2018年2月15日木曜日

「後世の削平」の影響が強く選択的に働いていることに気が付く

大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 25

漆喰貝層有無別に竪穴住居を観察すると出土物のみならず空間分布も全く異なり、それが2集団の共存であると推察しました。
しかし出土物の違いはあまりに極端であり、極端すぎて穏当な解釈やストーリーが浮かびません。そのような中で、もしかしたら「後世の削平」の影響が強く選択的に働いているのではないかと気がつきました。
2018.02.14記事「竪穴住居の漆喰貝層有無別検討に関する考察メモ」参照
早速、後世の削平について発掘調査報告書の記載と断面図等を93竪穴住居全部について読み返しました。
発掘調査報告書の記述から住居壁や覆土層の一部が残存している竪穴住居と住居壁と覆土層の双方が無し(ほとんど無し)の竪穴住居に区分できることが判りました。
その結果を次に示します。

1 住居壁や覆土層の一部が残存している竪穴住居

覆土層一部残存竪穴住居の分布
大膳野南貝塚後期集落では竪穴住居が完全な姿で残っている例は皆無です。覆土層が残っている竪穴住居でも全て後世の削平や攪乱、あるいは重複の影響を受けています。それもほとんどが大幅な影響を受けています。
その分布が上記地図であり、漆喰貝層有竪穴住居は貝塚円環構造に沿っています。
貝塚(南貝層、北貝層、西貝層)の存在が後世の削平から地下の竪穴住居を守ったように考えることが出来そうです。
漆喰貝層無竪穴住居は南側谷津斜面に集中していて、台地面のものはほとんどありません。谷津斜面の竪穴住居は恐らく生業の場としての斜面林の管理という出先的竪穴住居であると想定され、集落本体の漆喰貝層無竪穴住居ではないようです。
従って、漆喰貝層無竪穴住居は極めて強く、選択的に「後世の削平」の影響を受けていると考えられます。

2 住居壁や覆土層が無い竪穴住居 

覆土層無竪穴住居の分布
貝層分布域は弱まりますが、台地面に分布する竪穴住居の殆んどが後世の削平の影響を受けて覆土層がありません。つまり竪穴住居の内部に置かれた遺物が後世に消失したということです。
貝層分布域を除く台地面の分布する竪穴住居のほとんどは漆喰貝層無竪穴住居ですから、後世の削平の影響は強く選択的に漆喰貝層無竪穴住居に働いたといえます。

参考 全竪穴住居の分布

3 統計
この関係の統計をグラフ化すると次のようになります。

漆喰貝層有無別覆土層残存有無別 竪穴住居軒数

4 考察
これまで、漆喰貝層有竪穴住居は出土物が多く漆喰貝層無竪穴住居が少ないことの解釈として漆喰貝層有竪穴住居は豊かで優位であり、漆喰貝層無竪穴住居は著しく貧しく劣位であるとイメージしてきました。
このイメージは強い歪みのあるデータから導き出したものであることが確認できました。
データの強い歪みをどれだけ補正できるか、思い通りことはできないかもしれませんが、いずれにしても再考察して大幅に集落イメージを改変することにします。
漆喰貝層有集団と漆喰貝層無集団が漁撈と主食確保という別生業で協働していたかもしれないと空想できるようになりました。

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