2018年3月8日木曜日

土坑(体積類型)の時期別分布 全期

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 5

この記事は2018.03.07記事「土坑(体積類型)の時期別分布 集落衰退消滅期」のつづきで土坑(体積類型)のまとめです。

3-6 時期別土坑(体積類型)の特徴とりまとめ
前回記事までの検討を踏まえ、土坑を体積類型した場合、次のような思考をメモすることができます。
●特大土坑、大土坑
・特大土坑と大土坑の当初建設目的は主食堅果類等の貯蔵庫であったと想定します。
・ただし、その土坑が廃絶するときは廃絶祭祀が行われ送り場となったり、土坑墓として利用されたことは排除できないと考えます。
・特大土坑と大土坑は竪穴住居直近のものと竪穴住居から大きく離れた場所のものに2分して分布していると捉えることができ、貯蔵庫としての利用機能が異なっていたと想定します。竪穴住居から大きく離れた特大・大土坑は衛生面等を考慮したメイン貯蔵庫(長期貯蔵用)、竪穴住居近くのものはサブ貯蔵庫(短期貯蔵用)かもしれません。
・特大・大土坑の位置、つまり集落における貯蔵庫ゾーンの位置は時期によって異なります。
・集落開始期の漆喰貝層有竪穴住居家族の貯蔵庫ゾーンは遺跡南西部、同じ頃の漆喰貝層無竪穴住居家族の貯蔵庫ゾーンは遺跡北部と分かれていましたが、集落最盛期には遺跡北部に貯蔵庫ゾーンが集約されていて、主食貯蔵という側面は漆喰貝層無竪穴住居家族(非漁民家族)が主導していたように推測できます。
●中土坑
・集落最盛期の中土坑の分布を見ると特大・大土坑の分布に近く、小土坑分布とは明らかに異なりますから、中土坑の建設当初目的も特大・大土坑と同じく食糧貯蔵であったと推定します。中土坑は特大・大土坑よりも竪穴住居に近づいて分布していますから、貯蔵品目や貯蔵目的が異なっていた可能性があります。特大・大土坑は集落全体の食糧が底をつく春先用食料貯蔵、中土坑は竪穴住居家族毎の収穫物一時貯蔵など。
・集落衰退期には竪穴住居軒数が激減し、同時に特大・大土坑が姿を消しますから、この時期の集落メイン貯蔵庫は中土坑であったと考えられます。
●小土坑
・小土坑の当初建設目的は生活に必要な送り場であったと想定します。
・竪穴住居直近の小土坑は日常生活で排出される不要物を送る場であったと考えます。アイヌの例では排出物の種類ごとに送り場が異なっていたので、小土坑も同時に多数存在していて、食糧残滓、道具類、灰などの排出物別に使い分けていたのかもしれません。
・竪穴住居からはなれた場所の小土坑は列状に分布し、次々に建設され利用された様子が感得されます。非日常的な送り場であり、土坑墓の可能性も排除できません。特に集落中央部の列状小土坑は葬送に関わるような土坑であると推測します。

3-7 土坑(体積類型)の全期分布
下図のように時期の不明な土坑が多数存在しますから、これらを含めて後期集落の全時期の土坑(体積類型)について考察します。

参考 時期別土坑数

3-7-1 全期 土坑(体積類型)分布

全期 土坑(体積類型)分布
土坑の分布は密集しているところが多く、孤立して1つだけ分布しているものは少ないことから、集落全期間を通してみると、土坑建設適地はいつも同じ場所であったと考えられます。土坑密集地つまり土坑立地適地と竪穴住居との関係からその土坑の機能をある程度推察することが可能であると考えます。

3-7-2 全期 特大・大土坑分布

全期 特大・大土坑分布
2つの土坑が隣接している場所が数か所あり、土坑建て替え(掘り替え)があったものと推測します。
集落リーダーの竪穴住居(集落の文化的中心地)から離れた場所に分布しているものが多くなっています。しかし、円環状構造の中心にはほとんど分布しません。

3-7-3 全期 中土坑分布

全期 中土坑分布
3つの土坑が密集している場所が4カ所あり、建て替え(掘り替え)があったものと考えられます。
特大・大土坑と同じように集落円環構造の中心部には分布しません。

3-7-4 全期 小土坑分布

全期 小土坑分布
塊状に密集するところがあり、その場所は特定の送り場として、何度も小土坑が掘りなおされた場所であると想定します。
列状に分布するところも多くみられます。列状分布は次々に土坑が建設され、土坑どうしは隣接しているけれども、結果として最初の土坑と最後の土坑の位置は離れている状況を呈しています。これはその土坑の絶対的な位置にこだわっていないので、その土坑を日常的に使っているのではなく、非日常的に使った様子を表現していると考えられます。
特に集落中央部の列状分布は非日常的な送り場で、土坑墓であったかもしれないと想像しています。

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